【初日まであと2日!(匣の階はあと1日!)】匣の階⇔うんなま、往復応援メッセージ【#うんなま】

さてさて、往復応援メッセージ。続きましては匣の階です。

なんだか無邪気で素直な交換文、ぜひぜひご一読ください。

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【匣の階⇒うんなま】

たまたま同じ週末に公演をすることになってしまった、うんなまの繁澤君から「お互いに応援し合いませんか?」というお誘いを頂き、仕込みの合間の楽屋でこの文章を書いています。 仕込みに劇場へ来たのですが、箱馬を運ぶのを手伝ったら「それはもういらない」と言われ、完成していく舞台を見ながら美術さんに質問していたら舞台監督さんに「仕事中のスタッフの手を止めないように」と叱られ、「勝手に美術や客席を動かしてはいけません」と注意され、チラシのセッティングを手伝ったら「久野さんだけ束が反対向きです」とやり直しになり、出演者から「やることがほんとに期待を裏切らないですね」と呆れられ…舞台にいるところがなくなって、「久野さんはうんなまさんの応援文を書いてきて下さい」と匣の階のスタッフと出演者に促されて楽屋に上がってきました。

というわけで「うんなま」です。

うんなまの作演出家繁澤君とは、昨年から、同じ審査員として「おうさか学生演劇祭」に参加しています。他の審査員は皆劇場や演劇制作の関係者で、劇作家は私たち二人だけです。 昨年の審査は、私と繁澤君vsその他の審査員 に票が分かれたと後から聞きました。 主宰者は作家とプロデューサーの考え方の相違だと思ったようですが、もしかしたら、私と繁澤君の「演劇」に対する考え方が似ていたのかもしれません。

といっても、私の創るものと彼の創るものはわりと全然違います。違うも何も、ほとんど何も似たところがないといってもいいくらいです。私はとにかく一連の「物語」にしたいのですが繁澤君はいろんなものを分解して物語の外に並べ直したいと考えているように思えます。私が極力さらっと流したいとことを繁澤君はしつこくしつこく繰り返して描こうとします。逆に、私が整理できずにもやもやしたままにしてしまうところを、繁澤君はにキャッチーな言葉にして提示します。とてもクレバーです。そのクレバーさの裏に戸惑い、悩み、傷つく誠実さを感じます。感じるのですが、「形にならないものを形にならない(という)<形にして提示>することで、誠実さとクレバーさを透かし見せることは実は忘れない」という強かさも感じます。

思えば、うんこなまずの「ANCHOR」を見て、そのことの是非について終電まで議論?

したのが、彼と話をするようになったきっかけでした。 「言葉」や「関係性」の不確かさや、それとの関わり方について、私たちは話していたのだと思います。繁澤君はとても礼儀正しい好青年なので、喧嘩っ早い私があれこれ失礼なことを言ってもにこやかに聞いて誠実に答を返してくれます。自分の大人げなさが悲しくなります。でも、同じことに関心があるのにその表現方法が全く違う、そして世代も違う作家と話すのはとても楽しいものです。それ以来時々、演劇の話をするようになりました。そして、お互いの次回公演を見てそれについてまた新しく話をすることを楽しみにしていました。

それなのに…!!

なんと公演の日程が完全に重なってしまい、それは叶わなくなりました。 とても残念です。残念だなあと思っていたところに、繁澤君から、「せっかくなのでお互いの作品について紹介し合いませんか?」というお誘いをいただいて、うまく紹介できるかなと思いながらこれを書いてみています。やっぱりうまく紹介できていません。申し訳ない…。私の紹介文を読んでも、うんなまのことは何もわからないかもしれない。 申し訳ない…そして、クレバーな繁澤君は、匣の階の作品のことを、彼の鋭い観察眼と言葉で的確に表現してくれるような気がします。

ですが…いえ、ですので…?

この機会にお客様には「うんなま」と「匣の階」両方見て頂いて、作家が求めているものの共通点と(にもかかわらず大きすぎる)表現方法の違いについて、あれこれ考えて頂けたらとても嬉しいです。演劇は一期一会です。気になった時はGO!縁を感じたらGO!です。そこからまた思いがけないものとの新しい出会いがあるかもしれません。

冬の週末の観劇のおすすめでした。

匣の階 久野那美

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【うんなま⇒匣の階】

 無邪気に芝居の話ができるっていうのは、すごく楽しいし嬉しいことです。久野さんとは、決まってそんな、無邪気な芝居の話、あれがおもしろいこれがおもしろくない、じゃあおもしろいおもしろくないとはなんだろう、私たちはなにをおもしろがっているんだろう、みたいな話をいつもしている気がします。

 僕のような若輩者が言うのもおこがましいことではありますが、久野さんはとびきり無邪気な人です。柔らかなマシンガンのように繰り出される言葉、力まずに嘘を含んでいない言葉が、どんどんどんどんとお喋りの中で繰り出されます。けど、決して威圧的とかそういう感じじゃない。それこそ、若造と飲みに行ってくれるぐらいなので、全然威圧的じゃない。でも、結構クリティカルというか、抜身の言葉をズブシュズブシュと放り込んでくる。ぜんぜんまくし立てる感じじゃないけど、聞き込んでしまう。優しく凶暴な(ちょっと言い過ぎかもしれません)、そんな、言葉。

 そういう、久野さんの雰囲気は、そのまま「階」の作品に現れているようにも感じます。特に、昨年1月に観た「点の階」は、僕の観劇体験の中でも、すごく“不思議”なものでした。

 全然、静かな作品なのに、なんだか刺激的で、何よりも飽きない。それほど時間の長くない作品だったはずですが、それでも、それこそまるで宇宙旅行のように、あっという間の時間、かつ劇的な空間に引き込まれた記憶があります。

 じゃあ、その“飽きない”のはなぜなのか。個人的には、“耳心地のよさ”があったのではないかと感じています。空間に嘘の無い言葉、それは意味としても、音としても。そのように成立している類稀な居心地の良さに、あの日の僕は非常に感銘を受けていました。

 そういう“居心地の良さ”は、きっとおそらく、今回の「匣の階」でも同様なのではないかと感じています。うんなまの雀野ちゅんが、先日「匣の階」の稽古を見学したとのことで感想を聞いてみると、「舞台美術が非常に気になる」とのコメントとともに、彼女はこんなメモを送ってきました。


  ―詩のようなことば、がひろがる物語、童話的な世界か、と思いきや、
   たしかにいる場所、現実との地続き間。心地よい。―


 今回、まさにどんかぶりで観に行くことが叶わず、素直に残念です。が、うんなまも、空間から成り立つ、“耳心地”や“居心地”の良さを求めて劇作をおこなっているところがあります。もしかしたら、案外近い雰囲気なのかもしれませんよ(久野さんは否定するかもですが)。

 いかがでしょうか。宜しければ「匣の階」と「うんなま」を両方観ていただいて、あっちがああだ、こっちがこうだ、どっちもどうだ、みたいな話を無邪気にしていただけますと、あわよくば私たちにも話してもらえますと、創作する身としては嬉しさでいっぱいだなあ、と、思ったりしています。

うんなま 繁澤邦明

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匣の階詳細:http://floor.d.dooo.jp/

神戸アートビレッジセンターでは久野さんが、ウイングフィールドでは繁澤が、それぞれお待ちしております!

うんなま

うんなま(劇団うんこなまず改め)/un-namaのホームページです。 ※平成29年度より、団体名を改定しました。 mail:unkonamazu@gmail.com twitter:@unkonamazu facebook:@unkonamazu